ヒカリ

共有してる音、風、光

加藤シゲアキのソロ曲 「あやめ」

「曲としてのあやめ」

 

 

神秘的ながらも美しいが、どこか暖かい音の感じは彼がこの曲をとても頑固に真心を込めて作ったんだっていう思いがした。
水気が混じっているところに咲いたあやめの感じというか、夢幻的なアレンジが敷かれてあるような導入だった。
そんなメロディーが中盤を過ぎてクライマックスに向かいながら何かの抑圧を解こうという力動的な感じに変化する。
そのような力動的な感じが C、F、Gメージャーではなく、Bメージャーで転調になる部分が導入の美しく神秘的なあやめのイメージをなるべく失わないようにしてくれたと思う。
クライマックス前の部分がE♭系のメジャーとマイナーの感じを同時に持ったメロディーだったため、初音が D#(E♭)で開始する調で転調して統一感を与えたのかなという気もする。
彼の音楽的好みがマイナーとか色んな話が多いけど、彼が作り出したソロ曲に毎回驚かされている。
メージャー感覚の曲ではないが、彼がよく見えてきて、彼の話がよく表われている、彼のみの言葉で作った曲。
最初から最後まで余不足なく彼が感じられる曲だった。
彼の音声と女性のコーラス、そして愛を語った歌詞の内容の中では、LGBTを暗示する表現がある。
その表現を見ると、世の中の様々な愛を表現しようとした姿が見られる。
現役アイドルがLGBTを自分の曲の中で表現したということ自体が、正直私にとって大きな衝撃だった。
大統領選挙の時に、大きく問題になった差別禁止法の話や、軍隊内の同性愛者の捜し出した事件など、大韓民国の現実と比べたらあんな表現が可能だというのがとても羨ましかったし、悔しい思いもした。
話者は干からびている荒野のような現実から空想と妄想の虹の向こうにあるネバーランドに行こうとする。
ところが現実と向き合っている話者が進取的で肯定的に目の前を見ているっていうことが色んなことを思うようにする。
はたして今の大韓民国の性少数者たちはあんなに肯定的に期待しながら進んでいるのだろうか。
そんなことを考えたら心が限りなく重くなった。

 

結局彼が伝えたいことは何だろうか。
世の中に存在するすべてのものは優劣をつけない美しく大切なもの。
意図したかどうかは分からないけど、この曲を聞いて誰かは救われている気がするかもしれない。
誰かを救い出すような、彼の非凡な優しさまで感じられる曲だった。

 

 

 

「パフォーマンスとしてのあやめ」

 


歌は果てしなく美しいが、メッセージは軽くないこの曲を彼は全身で表現した。
あやめを連想させるような衣装を着て裸足で出た加藤シゲアキ。
指先から伝わる彼の言語は決して軽くておらず、表情は潤っており、まるで行為芸術をのような動きだった。
そうだ。 彼は美しい一輪のあやめ、それ自身だった。
ナレーションの句末にone two three fourをした後、虹を向けてどのような迷いもなく、力強く走ってクレーンを登る彼の足取りは、私にとって大きな響きで伝わってきた。
そして、その上に乗ってknock knock、向こうの理想郷に向けてドアをたたく姿に私の胸も熱くなった。
その後、彼は虹色の旗を振る。 彼が立っているところも虹色に輝く。
最後に彼はその世界は心の底にいて、そのため私は生きていくっていうメッセージを残す。
今回のソロは私には瞳の方向、指先の動きまでどれ一つも軽々しく見れないすごい作品であった。
1秒も逃したくないほど私を圧倒したし、時間が流れて曲が終わることに対する惜しさをいつぶりに感じたのか分からないほどだった。
これをただのソロだと言えず、作品だって言えるほどの深さと質感を彼は私に見せてくれた。
彼の頭の中は一体どれだけ広くて大きな世界が広がっているのか。
短い時間だったけど
虹の上に立っていた彼は、ジャンヌダルクやドラクロワの絵である「民衆を導く自由の女神」みたいに不義に抵抗する自由の女神のような存在だった。
そしてそんな彼の舞台を見ている私さえパフォーマンスに救われた。
彼の’頭の中の世界を見事に作り出す才能’に敬意を表す。

恐ろしいことはこんなに凄すぎる作品が
彼の能力を最大に発揮したことが、絶対ないっていうこと。
彼はまだ成長している。
才能がすごくない? 天才!
次のソロ曲はどんな世界がどれだけ表現されるんだろうかがとても楽しみである。

 

 

 


20170620
自分のNAVER Blog. ヒカリ(http://blog.naver.com/dreamer_hosi/221033607972)に載せた韓国語の感想文を日本語で翻訳しました。

 

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以前 Ameba Owndに投稿してた 「あやめ」の記録。