2018年4月30日のメモ:8年目になりました
5年前の7月、雷雨によるコンサート中止から急に翌日の追加公演が決まって、色々あったけど無事に最後まで見ることができた。羽田国際空港で月曜日の朝一発目の便に乗ってる離陸を待ちながら’この4人を何があっても守らなきゃ’って思ってたけど、今あの時と同じ場所にいる。
NEWSのファンになって7年になった。
2011年山PのアジアツアーのソウルコンサートがきっかけでNEWSというグループを再び見れることになって、小プレのプレミアムトークを見る時に苦労した話をとぼけてるようにしてたしげあきが気になって、自分でも彼の力になりたいと思ってあのコンサートを一緒に見に行った人達に伝えたのが2011年4月28日だった。
そうだ、誰かに話したことはないけど
4月28日の広島初日は自分だけの記念日であった。
日程を見てびっくりしてた。しげあき、まっすーと同じく7月生まれである私は7年間誕生日当日にコンサートとかが全然なかった。近い日にはあったけど。
私にはいろんな意味がある、誕生日と同じような大事な日にコンサートだなんて。
しかも愛する広島でのコンサートだった。
それでどうしても行きたかった。
申し込みを終えてから痛いとも言えないほど苦しいことが起こり始めた。その状況でもとりあえず生きていくしかなくて、当落の存在は全然気づかず過ごしてた。
当落日である2月14日はバレンタインデーの前にお父さんのお誕生日だった。その日に聞こえてきた当落発表のお知らせ。結果は入りたかった公演に当たった。しかもお友達と複数当選だった。
4人がまた私を呼んでくれたんだと思ったら感動で胸がいっぱいだった。
当落発表の後から地獄みたいなつらい時間が続いた。正直死ぬ方がましじゃないか思うほどだった。会社も自分も非常だった。
時間はが経って広島公演を一週間も切ったあの日、元々は日本にいる時間である時に急に全員有給と出張禁止命令がきた。裁判の判決のために担当の方が職場に来てランダムで面談を受けることになったって。ツアー自体が早めに決まってたので無理しながら許可を得たけど気が重いまま東京行きの便に乗るしかなかった。
記念日であった初日はまさか両方ともアリーナ席だった。
そしてなぜかはわからないけど、しげあきは最初ファンサをやってくれると二度とやってくれないのにあの日は何回もやってくれて。。。
最初出席確認ができた時に彼の笑顔が眩しくてこれでいいと思ったのに。何これ。
何かのテレパシーでも通じたのか。そしてそれは広島ラストまで続いた。
今年「Happy Ending」を聞いてすごく勇気をもらったけど、まさかのエンディングの曲だった。正直メイクしてなかったらわんわん泣いたかもしれない。黒い涙を見せることは自分の中で許せなかったから我慢したけど、涙までは止まらなかった。
4人が私に
”一人だなんて思ったら許さない”って言ってくれる。
誰よりも心強い仲間が自分の近くにいる。
今考えてみると
最初は私が守らなきゃと思ったのにいつも彼らに支えてもらってる。
だから
5年前同じ場所で自分からした約束。
それだけは忘れずにいよう。
もし危険が4人の前に訪れても、その時には私が彼らを守ろう。
7年間幸せしかなかったよ、本当にありがとう。
NEWSのファンになって、加藤シゲアキを応援んできて本当によかった。
またこれからもよろしくね。
(20180430、飛行機の中で書いてたメモ)
私、もうあの時に何かを感じてたの?
メモ帳を整理するために見たらこんなメモがあった。